とど田中です     熊 とか とど とか言われます(笑)


アメ車と酒と居合をこよなく愛しています
 まず「酒」についてですが、

たしか小学5年生の頃、めったに早く帰ってこない父親に酒の飲み相手をしました。ビールををタップリ飲むと体中に(蕁麻疹)が出たのです。親父は「俺の子供が下戸になってはダメだ、明日から毎日ビールを飲んでみて飲める体になれるかな?」と。

それが、学生時代は、もうりっぱな「大酒飲み」で、普通に飲み会で酔えない(アルコール不足)のでダルマ(サントリーオールド)を一瓶買ってグイッて飲んで走ってから飲み会に向かったのでした。
バケモノとかくじらとか言われましたが・・・何とか今まで大丈夫でしたね。

最近は、そんな事はとてもダメで、普通の呑み助です。

好みは多少ありまして・・・ビールはやはりキリンかな?もちろんエビスもOK。ウイスキーもスコッチ・バーボンなら大好きですね。ソーダ割りで頂きます。
さて、日本酒ですが・・・・これがねちょっと好みが厳しくてね、基本的には「久保田」の味が大好きです。これに集約されますね。どれだけ久保田に近いか・・・だけで決まります。

          続いて、車ですが、

免許年齢に達するまでにバイクなんかを乗り回してた少年時代、家の前を走る車はアメ車ばっかりだったんじゃないかな?

パッカードとかキャデとかオースチンが幅をきかしていて、日本車が少ない時代が僕が車をみとめた時代だ。その後、日野ルノー、いすゞヒルマンとかが出てきてからクラウンがあったような・・・・

まあとにかく、免許取った時、最初に乗りたかった車はフェアレディでSR311つまり当時の3人乗りのオープンカーだった。
実際は親父譲りのセドリックに乗っていましたが、大瀬康一だったかコンパーノのナンバー333のオープンカーにも憧れた。

次に乗ったのがクラウンのハードトップでこれも2台乗り継いだ。その後フェアレディZ2シーターに乗ってから(ラリー車は別にして)カマロのRS390に乗った。390だから6400ccぐらいのエンジンで、リッター3キロとか4キロとかで、燃料大食いでたまらなくて(それ以外の理由もたくさんあって)売り飛ばして、ニッサンスタンザに買い換えた。一時期ポルシェ911にも乗ったりしました。

その後はラリー変じて四駆になり、ビックホーン、ランクル80、ラングラー、そして今、元に戻ってマスタングとなったのです。

次はね・・・・・コルベットと思っていますが、嫁の許可が下りないのと、どうしても今のコルベットのエンジンにちょっと納得がいかないのが決断できない理由です。

ともあれ、昔からジェンセンヒーレーやMGミジェットに憧れていたし、アルファGTVとかBMの2002ターボとかも乗りたかったですが、心の中ではひとつに(オープンカー)ひとつに(カルフォルニアスタイル)が有った気がします。これは一時期アメリカ西海岸に住んでいた事が影響してるかも?

実現しなかったのは「お金が無かった」ことと「左ハンドルでは追い越せない」これが理由です。お金はローンでも良かったとしても追い抜き出来ないのはガマンなりません。今のように山道でも2車線は無かったのですから。

では、どうしてアメ車かと問われますと。何でも専用が必要な欧州車とは違い、何でも一般用の部品が使えるアメ車だからです。

専用オイルとか専用工具とか専用機材がなけりゃ何も出来ない車より、一般機材で事足るアメ車はやはり一番ではないでしょうか?

あのキューバで未だに60年代のアメ車が走っています。同じ時代の欧州車ならすでにどうしようもなくお払い箱になっていたでしょう。
                                            
仕事柄で、いろんな車に乗りますが、昔にスイスからイタリアへ旅行した時レンタカーで「デ・トマソ・パンテーラ」に乗ったのです。生まれて始めてのV8、350馬力でオーバー200キロで走行しました。これがV8との出会いです。イタリアの「太陽道路」で速度無制限になったとたんランボルギーニミウラとフェラーリデイトナに抜かれて唖然としたこと、覚えています。

アメリカ旅行の時もコルベットスチングレーの4速MTを乗りましたが、あの国でミッション車は必要ないです。リンカーンのタウンカー(バカでっかい車)もあの国では普通に乗れました、やはり国土の広さですね。

車のチューンはかなりやりました。フェアレディZの時とスタンザの時が最大ですね。

カム・バルブ・ポート・クランクにコンロッド
キャブ・エキマニ・マフラー・ショック・サス・ホイルタイヤ・デフはもちろんシートなどそしてワンオフターボなどかなりお金をかけて(工賃はいらない)やりました。多分あの時代に4ピストンのベンチレーチッドディスクブレーキは本物のレース車両以外は僕だけだったと思う。

ラリー時代が自分の良い時代で、まだ第2阪奈道路が無い時、旧阪奈を毎日のように飛ばしていました。その頃、本当のタイヤの(食いつき)を知りました。

まあ2駆のFRですが、コーナーで最初に悲鳴をあげるのは前輪の外側で、続いて後輪の外側、その後後輪のゴーゴー音、そして後輪のホッピング、最後に後輪のズルズル、そして最後が前輪と同時にドリフトになります。それまではタイヤは食いついています。
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