道場長のうんちく A B
以下引用文献によれば
書によれば、居合とは状況に応じて抜刀し、一瞬の中に勝ちを制せんとする戦法を修業研究するものであって、
精神の修練が第一であり、身体の鍛錬はこれに次ぎ、技術の練達は以上二つの目的を達成する手段である。
それは武士的人格修養の道である。
剣禅一如の心境を養い、無念無想の境地に入り、行住坐臥 物事に対して躊躇することなく臨機応変、的確なる
諸動作を以って、日常の万事に善処するの境地、習慣を養成するのが今日の居合収斂の目的と思います。
「日本人の心の奥底に宿る日本刀に対する縹渺たる神韻の感は誰か之を打ち消し得ん 日頃その日本刀に親しみ
ながら一切の日本精神論を説かず一切の武士道論を聞かずとも 之を行うことによって自ら解しその道に入る法である。」
「業より道に入る」最も簡易な法であるとあります。
引用ここまで
これは、全日本居合道連盟の(近畿地区)昇段審査の文面にありますが、
日本刀を通じ座位または歩行中、如何なる時、所を問わず刀の運用身体の活用を会得し、総じて精神修養、
質実剛健の精神を養い、人格の陶治に努めるを目的とする。
抜刀前、敵をして抜かさしめざる心意気を以って敵を圧し、鞘離れの一刀、尖光一瞬にして勝を制する理念なり。
居合いは鞘の内の理念のもとに、刀を抜かずして天地万物に和するにあり、以って己が与へられたる天職を完ふ
するにあり。所謂各自の責任行動完遂にある。
という設問に集約されているように、現代では術は術で、居合は「道」として学ぶ必要があります。
もう一度、念を込めて言いますが、「術」を極めるのはまだまだ先です、最低15年ぐらいは掛かります。
さて、それでは稽古を始めてみましょう。
先輩に或いは先生に教わって礼法を習ってからですよ。
刀を差して、踵を緩くつけて立ちます。
顎を引いて目は正面を見る。肩の力は抜いて両手をまっすぐ下におろす。両手共親指は下方に伸ばし他の指は緩く丸める。
丹田に力を込めて、柄頭を臍の前に、肘を前後させずに左手首を持ち上げた処に鯉口がくるように、刀を調整する。
立ち位置から一歩でも動く時、両膝の力を緩く抜いて、腰に(丹田)に自分自身の中心を感じる。
技を行う時は、何時でも、百会(ひゃくえ)と丹田(たんでん)と会陰(えいん)を常に垂直に保つ事肝要です。
体を左右或いは半回転させる場合もこの中心線を外してはいけません。
正対する時も、半身立ちの時も中心線はズレてはいけません。
片手切の時は右半身と左半身は反対方向に回転を使います。
両手で刀を使う時は刀の動きと上半身の動きは反対方向に使います。
座位の場合、両膝の間は一拳半開き、右足の親指を左の親指に乗せて、座ります。
左手を裏返して、下から鯉口を支えて鞘を少しづつ前へ送る。同時に右手を柄に乗せ掛け、
この時同時に膝を(しっかり)寄せて、太ももを(縦に太く)立たせながら・・・こうすると尻が浮きかける
そして爪先を立てながら、左手で刀の柄を右手に渡す。立ちながら抜きながら腰を立たせたとき抜き放つ。
この時、左手は鞘を後ろに引ききって、小尻を上方向に立ち上げ、右手は刀の背に乗せて切りつける。
いささかも「力ます」が肝要で、両肩が静まっていなければだめです。
Bにつづく